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東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ

遙洋子 著 2000/1/20 発行 筑摩書房

新聞などを見ると、売り上げベスト10圏内に入って来るし、書評なども出ている話題本。売れ筋なので書店でも平積みになっているが、「上野千鶴子」と「ケンカ」が赤になっている表題が目を引くし、何より興味をそそられる上手い題名だと思った。

著者の遙さんは、関西を中心に活動するタレントで、仕事の傍ら以前から女性学を学んでいた。彼女の仕事は娯楽を売る事だが、シリアスな討論番組からバラエティーのトークショウまで、そこには避けて通れない議論があった。そこに対立が生じた時、論者の意見の根底に流れる「女は黙れ」のメッセージを、いつも気持ち悪く思っていた。そして彼女はいつも勝てなかった。

「確実に、的確に、瞬時に、相手に打ち勝つ方法を」彼女は探し、勝ち続けている人、社会学者の上野千鶴子に教えを乞う事にした。しかし、上野教授は「相手にとどめを刺しちゃいけません。」「相手をもてあそぶやり方を覚えて帰りなさい。」と言った。

そして、「ナショナリズムとジェンダー」をテーマにした上野ゼミ生活が始まった。上野教授は強烈だった。教室は四角いジャングル、学問は、議論は、格闘技だった!

「多く女性たちの日常の闘いに、フェミニズムを引き寄せたかった。」と語る遙さん。社会学とは枠組みを疑う訓練で、知は従順で素直な私を遠ざける、という事を学んだという。まだ読み始めたばかりだが、「女の敵は男」的フェミニズムの時代が去った今、フェミニズムに馴染まない私にも、考えるヒントとパワーを与えてくれそうな気がする本だ。


(追記)
  いや、学問って大変だわ!
  読みま終えました、この本。
  私は大学に行ってませんので、ゼミというモノを経験したことが
  ありません。ゼミってこんなに大変で恐怖なモノなの?
  徹夜で文献読んで論旨をまとめ、レジュメを作って発表に臨む。
  しかも教授には容赦なく質問責めされるのだ。
  恐るべし、上野千鶴子! しかし、上野教授ご本人の著書を
  読んだときより、ずっと上野千鶴子に好感を持ってしまった。

  尚、上野千鶴子著『ナショナリズムとジェンダー』は、
  1998年3月、青土社より刊行されています。
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by hitokohon | 2002-11-01 20:41 | 時事・流行・社会問題

片づけられない女たち

サリ・ソルデン 著(ニキ・リンコ 訳) 2000/5/31 発行 WAVE出版

本屋でこの本のタイトルを見つけた時「あー私の事だよ!」と思わず手に取ってしまった。
散らかす。なくす。忘れる。引き延ばす。遅れる。人間なら誰でも時にはそういう事もあるが、私は頻度が高いような・・・。訳者のニキさんも「時には」ではなくて「いつも」だったという。そしてアメリカで心理療法士をしている著者が書いたこの本に注目し、自ら翻訳することになったという。

片づけられない・・・という生活面でいささか困ったことになるこの状況が、実はADD(注意欠陥障害)という神経系の障害が原因になっている場合がある。そして世の中から、片づけ上手でこまやかな気配りが出来ることを望まれがちな女性たちは、男性よりもこの障害により自分を責め苦しむ度合いが高い。というのが本書の内容だ。
しかし、この障害を持つ人は、その事以外は障害のない人と能力の違いはないし、障害を理解し上手く対処すれば、片づけられない事があっても生活面や仕事でもその人なりの能力を発揮する事ができる、あきらめないで! とエールを送っている。

ううぅん、私の場合は単にズボラなだけかもしれない・・・(^^;)
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by hitokohon | 2002-11-01 20:36 | 時事・流行・社会問題

NPO「ぽんぽこ」

正式なタイトルは"多摩ニュータウン発 市民ベンチャー NPO「ぽんぽこ」"
富永一夫 著 2000/4/20 発行 NHK出版

著者の富永さんは、NPOフュージョン長池理事。
 
スタジオジブリのアニメ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」には、多摩ニュータウン開発を進める人間達と、そのために住処を失って行く狸達との攻防が描かれていた。自然破壊と先住民の犠牲のもとにあると言ってもいい多摩ニュータウン。新住民としてそれを踏まえた上で、住民同士のコミュニケーションはもとより、既存地域や行政側ともネットワークを作ってうまく融合(フュージョン)し、住民主体の生活環境とを築いて行こうというのが、NPO(特定非営利活動法人)フュージョン長池の活動である。それは正に「ぽんぽこ」その後と言えるのものである。

八王子市にある多摩ニュータウン長池地区は、京王線堀之内駅の近くにあり、ニュータウン内では比較的新しい地域である。そこで新築集合住宅の住民として管理組合の立ち上げに尽力した富永さんは、地域に根ざして生活する事を重視するようになった。やがてその活動が発展し、会社に辞表を出してNPOフュージョン長池を設立することになったのだ。とにかく住民達が熱い!

富永さん達の思いは、オールドニュータウンで少子高齢化に頭を悩ます我々にも、ニュータウンで生きるということを再認識させてくれる。
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by hitokohon | 2002-11-01 20:29 | 時事・流行・社会問題

人間の数だけ生き方がある

伊藤悟 著 2000/4/30 発行 三天書房

同性愛者の問題を通して社会や学校の常識を問い直しながら、誰もが自分らしく生きることについての活動をする「すこたん企画」の伊藤悟さんが、1998年に東京都立大学人文学部の「教育学特殊講座」で行った授業を基にして書かれた本です。

学校・教育から「アタリマエ」がすり込まれる
おとなもこどもも考える「学校」「世間」「性」

とサブタイトルにも書かれているように、「学校」と「性」にまとわりついて離れない「常識」の形成過程とその矛盾を現実に基づいて分析し、そうした「常識」を捉え直し、しなやかな姿勢と広い視野をもって「自分らしく」生きることを再発見してみよう、という内容です。

学校での教師と生徒、世間での男女や親子や職場での上下関係、異性愛者とセクシュアルマイノリティー(同性愛者や性同一性障害などの性的少数派)、こうした権力関係を巡る自分の中の「世間の常識や価値観」をもう一度洗い直して見て下さい。
 
伊藤さんは現在、同性愛者であることをカミングアウトされて色々な活動されています。しかし、そこに至るまでは、人口の大半を占める異性愛者の常識が「世間の常識」(異性との恋愛、結婚、そして子ども、という人生設計)としてまかり通る世の中で、同性愛者である自分を肯定出来ず、異性愛者の振りをして生きざる得ない状況に置かれてたそうです。
 それは、現実に間違いなく存在している本来の自分を否定し、「世間の常識」に無理やり合わせようとする、苦しい生き方でした。果たして、そこまでしければならない程、この「世間の常識」は正しいモノなのでしょうか? そして、異性愛者である個々人も、この「世間の常識」に従う事で本当に幸せな生き方をしているのでしょうか?

新しい世紀、価値観の多様化と情報化社会が一段と進む今、誰もが多数派の中に安閑としてはいられません。そんな時、マイノリティー(少数派)としての視点からの送られる伊藤さんのメッセージは、とても大切な事だと思いました。
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by hitokohon | 2002-11-01 20:18 | 子育て・教育

ボクの彼氏はどこにいる?

石川大我 著 2002年7月12日発行 講談社

ヒトコの母屋サイト内で紹介している
「府中市家庭教育学級」
でも講演された、石川大我さん(高橋タイガさん改め)の著書。

講演内容についても、より詳しく知ることが出来ます。 現在、同性愛者に関する正確な情報を伝えるために活動している石川さんが、インターネットで同性愛者の仲間と出会うまでの孤立感や、今の活動をする中での夢や希望など、その思いを率直に綴ったライフヒストリーです。思春期を迎えたみなさんや、その保護者となる世代の方々にも読んで欲しい一冊です。
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by hitokohon | 2002-11-01 00:00 | セクシャル・ライツ

男だけの育児

ジェシ・グリーン 著 伊藤悟 訳 2001年6月17日発行 飛鳥新社

ニューヨークで活躍するゲイの人気作家による渾身の子育て記。
本物の親になるとはどういうことなのか、親である人にも子である人にもお薦めの1冊です。

「男だけの育児」のサイト
「この本を読んで」で下記のヒトコの感想が紹介されました。

「親になるための思いがけない旅」

この本の原題にはそんなサブタイトルがつけられています。著者のジェシさんにとっては、養子を育てているアンディさんに出会うまで、まさに思いもかけない出来事だったのが、親になるということだったのでしょう。

私にも小学生の息子がいます。異性愛者の女性である私にとっては、こうして子どもを持つ事が、ごく小さい少女の頃から、予定され期待されていた生き方だったように思います。でも、だからと言って、実際に子どもを持った時に、全ての心の準備が出来ていた訳ではありませんでした。
大人になり、ゲイである自分の生き方や親との関係をしっかり見つめる中で、自身が親になる事を真剣に考え続けたアンディさんやジェシさん。この本の中で彼らは、私がいかに漠然とした世間の期待感に左右されて親になり子育てをしてきたのかを、省みさせてくれました。
 
アンディさんが最初の養子であるエレーズの父親になった時「かわいい赤ちゃんが与えてくれる喜びよりももっと深い」「自分がもっとも自分らしくなるという」解放感を得ていた、というところを読んでいて、何故だか涙が出てきました。たぶんそれは、自分の経験とは全く違うものだったからだと思います。
私は、結婚して4年目に待ち望んでいたはずの妊娠が判った時、喜びよりも先に、自分をあらゆる面で束縛する事になるだろう「赤ちゃん」という存在に戸惑いと不安を感じ、自分は本当に子どもを望んでいたのだろうか、と疑問を持ちました。そして、息子がよちよち歩きを始める頃まで、可愛さよりも「無事に育てなければ母親失格だ」というプレッシャーと育児疲れ方が大きくて、心から愛しいと思えませんでした。

今では息子も小6になって、12年の間に親子としての愛情が育ってきました。でも彼が生まれた時は、私自身が心から子どもを欲しがっていたのではなく、子どもを持たなければ(欲しがらなければ)いけない、という気持ちの方が強かったのかもしれません。アンディさんが子どもを欲しいと思い続けていた時、異性愛者ならわざわざ言われる事もないだろう「何故?」という批判めいた疑問をまわりで感じ、彼自身も理由を探し続けて、結局子どもを欲しいという事に確かな根拠などはないと気付きました。そしてジェシさんは「無条件の愛を受け取るのではなくて、与えられるようになったから」だとも書いています。 
深く考えるでもなく、子どもを欲しがるのが当たり前と思い込もうとしていた私の場合とは、対照的でした。私の涙は、息子に対する申し訳なさだったのかもしれません。

その他にも、ジェシさんとアンディさんが子どもたちに対応するエピソードの中に、私が自分自身の価値観ではなく、世間の価値観に振り回されていたのだと気付かせてくれる所が多々ありました。彼らは、子どもを親の所有物や身をかわすための道具にしてはいけない事や、子どもの自己決定権を尊重する事を、とてもよく理解し大切にしているようでした。

それだけに、法律的に正式な養子と認められるまでの手続きのなかで、あらゆる角度から親としての適正を問われるところでは、我が子を虐待してしまうような人々が、産んだというだけで何の適正も問われず簡単に親としての権利を手に入れている事に、ひどく矛盾を感じました。産んだだけでは「本当の親」にはなれないし、(自分の経験からも)母性愛などあてにはならないのです。この本を読んで、あらためて「自分は本当の親になっているのだろうか?」と考えさせれました。 
(2001/10/18 「男だけの育児」のサイトの「この本を読んで」に掲載されました)
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by hitokohon | 2002-11-01 00:00 | 子育て・教育