カテゴリ:子育て・教育( 6 )

夜回り先生

水谷修 著 2004/2/25 発行 サンクチュアリ出版

著者の水谷さんは、横浜の高校教師。夜間高校に勤務するようになった12年前から、授業の後「夜の街」へ出て、盛り場にたむろす子どもたちに声をかける様になった。その中で、不登校、リストカット、ひきこもり、薬物乱用などで苦しむ子も含む5000人の生徒たちと向き合ったそうだ。

子ども達は誰も、昼の世界で周囲から認めれる存在として生き生きと暮らしたいはずだが、それが出来ずに、傷つき夜の世界へ追いやれてしまう子ども達もいる。「夜の街」は子ども達を食い物しようとする悪意に満ちており、それは大人にとっても危険な世界だ。自身も暴力団と関わるなどの危険に遭い、警察に「日本で最も死に近い教師」と言われながらも、傷つき愛に飢えているだろう子ども達のそばにいたいと、夜回りを続けているそうだ。

その場で話し掛けるだけなく、「悩んだ時には電話しなさい」と連絡先まで教える。出会えた子ども達を全て救える訳でもないし、対応を間違えてしまった苦い過去もある。それでも何もしないではいられず、夜回りをして子ども達と関わり続ける水谷先生。本当に頭が下がる思いがする。私には絶対出来ないと思う。だがその姿は、決してエネルギッシュなだけではないく、どこか寂しげで自省的な思いを抱えているようにも感じた。だからこそ、この活動を続けているのかもしれない。

子ども達の過去も今もどうでもいい。時間がかかってもいいから、自分の意志と力で幸せな未来を切り拓いていく為に、とにかく生きてくれさえすればそれでいい。大人たちには「よくここまで生きたね」と子ども達を認め褒めてあげてほしい、と水谷さんは訴える。それは簡単そうで、とても難しい事だ。頭ではわかっても、親である私は、未来の為の近道を見出せない事に不安と苛立ちを感じてしまう。子育てに、わかりやすくて簡単で、これなら絶対大丈夫なんていうマニュアルは、やっぱり無いんだなぁと、あらためて感じた。

( 追記 )
水谷さんと、彼が関わった薬物依存の生徒ジュンさんの往復書簡と日記で綴られた
『さよならが、いえなくて』(2000年7月初版日本評論社)という本を書店で見つけて読みました。問題を抱えた子ども達との関わりがどんなに大変な事か、水谷さんの活動をすばらしいと賞賛して終われない、お互いのそして家族の生きていく先の重さが伝わってきます。

その後、続編ともいうべき『夜回り先生と夜眠れない子どもたち』(2004年10月初版サンクチュアリ出版)、『夜回り先生の卒業証書』(2004年12月初版日本評論社)も出版されました。

後者は、毎日新聞社のウェブサイトに連載されている「夜回り日記」と、昨年8月の講演録をまとめた本です。
水谷さんは、ご自身や、夜回りで出会う子ども達のいる場所を「夜の世界」と呼んでいます。そして、本の出版や講演、TVの取材を受ける事は、子ども達を「夜の世界」に追いやっている「昼の世界」の大人達へ、彼らの事をちゃんと見て、追いやらずに済む方法を考えて欲しいと、訴えておられるのですね。

家庭や学校で、子ども達を「褒めて、褒めて、愛を与えて」あげて欲しい。子どもが失敗した時、側にいて抱きしめて見守って、子ども自身に考えさせて欲しい。子どもの問題を見つけたら、見て見ぬ振りをして子どもに判断を委ねてしまうのではなく、必ず話し合って欲しい。薬物の問題でも心の問題でも、治療者としてのいちばん重要なポイントになるのは親であり、その親がどう動くかがその子に最も大きな影響を与えるのだから、そういう場合の親へのサポートも大切である。といった、親や大人達へのメッセージがたくさんあります。
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by hitokohon | 2004-12-01 00:00 | 子育て・教育

対話のレッスン

平田オリザ著 2001/10/20 発行 小学館
1997年~2000年『本の窓』連載の「21世紀との対話」に加筆修正。

著者の平田さんは、劇団「青年団」を主宰する劇作家であり演出家。助教授として大学で教鞭をとる傍ら、高校で演劇を取り入れたワークショップも行っている。話し言葉を使って作品を表現し、話し言葉を指導する方である。

この本では最初に、話し言葉を「演説」「談話」「説得・対論」「教授・指導」「対話」「挨拶」「会話」「反応・叫び」「独り言」に分類している。戯曲は、これらの様々な話し言葉を使って作品を構成しているが、中でも重要な要素となるのが「対話」であるという。

私がなるほどと興味を持ったのは、「対話」とは他者との新たな情報交換や交流であり、親しい者同士で交わされる日常的なお喋りである「会話」とは違うのだ、と説明されていたこと。それから「コンテクスト」について。この単語は初耳だったのだが、直訳すると「文脈」という意味だそうで、言語学では、個々人が使う言葉の内容や範囲を言うらしい。このコンテクストは、それぞれの年齢や家族構成、立場や地域文化の違いによって「ずれ」がある。色々な俳優が集まって演劇を作っていく時、その「ずれ」を認めたうえで、接点を見つけていくことが大切になってくる。他人の書いた話し言葉を語る俳優には、自在にコンテクストの幅を広げられる事が求められるのだ、ということ。

この2点について、今まで深く考えることもなく暮らしていたが、それだけに心に残った。他にも電脳社会における対話についてや、中島義道さんの「対話のない社会」(PHP新書1997/12/4発行)について触れた話も興味深かった。

まだ読み終えてないのだが、平田オリザさんと井上ひさしさんの対談集「話し言葉の日本語」 (小学館2003/1/1発行)も、戯曲を書く者の感性を通して見た「話し言葉」の今、が語られていて面白い。

( 追記 )
上を書いた時には全然気が付いていなかったのが、中学2年の息子が使っている国語の教科書(三省堂)に、平田さん書下ろしの「対話を考える」という文章が載っていた。「対話劇を体験しよう」という課題の導入として、対話と会話の違いや、対話が苦手な日本人の文化的背景などにも触れている。
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by hitokohon | 2003-12-01 00:00 | 子育て・教育

絵筆のいらない絵画教室

布施英利(ひでと) 著 2000/11/10 発行 紀伊国屋書店

布施さんは、美術評論家として多数の著作があり、母校の東京芸術大学で助教授もされている。専門は美術解剖学というあまり聞きなれない学問だそうだ。

本書はNHKの「ようこそ先輩」という番組で、出身小学校の出向いて指導した総合学習について書かれている。私のように総合学習って何だろうと疑問に思う親や、先生方にも是非読んで欲しいなぁ、と思った。魚の絵を描くという課題に取り組むにあたって、まず魚釣りに行く所から始め、その魚を解剖させる。その後で改めて生きて泳ぐ魚を観察させて、課題である魚の絵を描かせる。釣りに行く前、子ども達の頭の中のイメージで描いた魚の絵と、最後に描いた絵を比較しているところはとても興味深かった。

布施さんは、大学の解剖教室ではじめて人体解剖した日、解剖が終わって教室を出た直後に、目の前の階段を上がって行く人を見た。何気なく目にしたその人の動く足元に「生きている!」という驚きと感動を覚えたそうだ。「目の前の人が、生きて、動いている。そんな当たり前のことが、とてつもなくスゴイことに思えました。」その気持ちを何より子ども達に伝えたかったそうだ。
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by hitokohon | 2003-12-01 00:00 | 子育て・教育

読書力

斎藤孝著 2002/9/20発行 岩波新書

若者が本離れしている、という現状を憂いつつ、彼らの「読書力」を是非盛り上げていきたい、という思いからこの本を書いたという。読書は、してもしなくてもよいものではなく、ぜひとも習慣化するべき「技」であるり、それを身につけることが「読書力」だ。 自己形成としての読書、スポーツのように自分を鍛えるための読書(読書の技)、対話力を高めるコミュニケーション力の基礎となる読書、と本書を読み進むに従って「読書力」もスキルアップしていく。若者にはもちろん、昔の若者にも、ちょっと緊張感のある読書を思い起こさせてくれる。
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by hitokohon | 2002-12-01 00:00 | 子育て・教育

人間の数だけ生き方がある

伊藤悟 著 2000/4/30 発行 三天書房

同性愛者の問題を通して社会や学校の常識を問い直しながら、誰もが自分らしく生きることについての活動をする「すこたん企画」の伊藤悟さんが、1998年に東京都立大学人文学部の「教育学特殊講座」で行った授業を基にして書かれた本です。

学校・教育から「アタリマエ」がすり込まれる
おとなもこどもも考える「学校」「世間」「性」

とサブタイトルにも書かれているように、「学校」と「性」にまとわりついて離れない「常識」の形成過程とその矛盾を現実に基づいて分析し、そうした「常識」を捉え直し、しなやかな姿勢と広い視野をもって「自分らしく」生きることを再発見してみよう、という内容です。

学校での教師と生徒、世間での男女や親子や職場での上下関係、異性愛者とセクシュアルマイノリティー(同性愛者や性同一性障害などの性的少数派)、こうした権力関係を巡る自分の中の「世間の常識や価値観」をもう一度洗い直して見て下さい。
 
伊藤さんは現在、同性愛者であることをカミングアウトされて色々な活動されています。しかし、そこに至るまでは、人口の大半を占める異性愛者の常識が「世間の常識」(異性との恋愛、結婚、そして子ども、という人生設計)としてまかり通る世の中で、同性愛者である自分を肯定出来ず、異性愛者の振りをして生きざる得ない状況に置かれてたそうです。
 それは、現実に間違いなく存在している本来の自分を否定し、「世間の常識」に無理やり合わせようとする、苦しい生き方でした。果たして、そこまでしければならない程、この「世間の常識」は正しいモノなのでしょうか? そして、異性愛者である個々人も、この「世間の常識」に従う事で本当に幸せな生き方をしているのでしょうか?

新しい世紀、価値観の多様化と情報化社会が一段と進む今、誰もが多数派の中に安閑としてはいられません。そんな時、マイノリティー(少数派)としての視点からの送られる伊藤さんのメッセージは、とても大切な事だと思いました。
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by hitokohon | 2002-11-01 20:18 | 子育て・教育

男だけの育児

ジェシ・グリーン 著 伊藤悟 訳 2001年6月17日発行 飛鳥新社

ニューヨークで活躍するゲイの人気作家による渾身の子育て記。
本物の親になるとはどういうことなのか、親である人にも子である人にもお薦めの1冊です。

「男だけの育児」のサイト
「この本を読んで」で下記のヒトコの感想が紹介されました。

「親になるための思いがけない旅」

この本の原題にはそんなサブタイトルがつけられています。著者のジェシさんにとっては、養子を育てているアンディさんに出会うまで、まさに思いもかけない出来事だったのが、親になるということだったのでしょう。

私にも小学生の息子がいます。異性愛者の女性である私にとっては、こうして子どもを持つ事が、ごく小さい少女の頃から、予定され期待されていた生き方だったように思います。でも、だからと言って、実際に子どもを持った時に、全ての心の準備が出来ていた訳ではありませんでした。
大人になり、ゲイである自分の生き方や親との関係をしっかり見つめる中で、自身が親になる事を真剣に考え続けたアンディさんやジェシさん。この本の中で彼らは、私がいかに漠然とした世間の期待感に左右されて親になり子育てをしてきたのかを、省みさせてくれました。
 
アンディさんが最初の養子であるエレーズの父親になった時「かわいい赤ちゃんが与えてくれる喜びよりももっと深い」「自分がもっとも自分らしくなるという」解放感を得ていた、というところを読んでいて、何故だか涙が出てきました。たぶんそれは、自分の経験とは全く違うものだったからだと思います。
私は、結婚して4年目に待ち望んでいたはずの妊娠が判った時、喜びよりも先に、自分をあらゆる面で束縛する事になるだろう「赤ちゃん」という存在に戸惑いと不安を感じ、自分は本当に子どもを望んでいたのだろうか、と疑問を持ちました。そして、息子がよちよち歩きを始める頃まで、可愛さよりも「無事に育てなければ母親失格だ」というプレッシャーと育児疲れ方が大きくて、心から愛しいと思えませんでした。

今では息子も小6になって、12年の間に親子としての愛情が育ってきました。でも彼が生まれた時は、私自身が心から子どもを欲しがっていたのではなく、子どもを持たなければ(欲しがらなければ)いけない、という気持ちの方が強かったのかもしれません。アンディさんが子どもを欲しいと思い続けていた時、異性愛者ならわざわざ言われる事もないだろう「何故?」という批判めいた疑問をまわりで感じ、彼自身も理由を探し続けて、結局子どもを欲しいという事に確かな根拠などはないと気付きました。そしてジェシさんは「無条件の愛を受け取るのではなくて、与えられるようになったから」だとも書いています。 
深く考えるでもなく、子どもを欲しがるのが当たり前と思い込もうとしていた私の場合とは、対照的でした。私の涙は、息子に対する申し訳なさだったのかもしれません。

その他にも、ジェシさんとアンディさんが子どもたちに対応するエピソードの中に、私が自分自身の価値観ではなく、世間の価値観に振り回されていたのだと気付かせてくれる所が多々ありました。彼らは、子どもを親の所有物や身をかわすための道具にしてはいけない事や、子どもの自己決定権を尊重する事を、とてもよく理解し大切にしているようでした。

それだけに、法律的に正式な養子と認められるまでの手続きのなかで、あらゆる角度から親としての適正を問われるところでは、我が子を虐待してしまうような人々が、産んだというだけで何の適正も問われず簡単に親としての権利を手に入れている事に、ひどく矛盾を感じました。産んだだけでは「本当の親」にはなれないし、(自分の経験からも)母性愛などあてにはならないのです。この本を読んで、あらためて「自分は本当の親になっているのだろうか?」と考えさせれました。 
(2001/10/18 「男だけの育児」のサイトの「この本を読んで」に掲載されました)
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by hitokohon | 2002-11-01 00:00 | 子育て・教育