カテゴリ:歴史・ノンフィクション( 6 )

西太后

サブタイトル:大清帝国最後の光芒
加藤徹 著 2005/9/25 発行 中公新書

著者の加藤さんは1963年生れの中国文学者で、『京劇』という著書でサントリー学芸賞を受けています。北京大学に留学していた事もあり、お連合いも北京出身の方だそうで、中国の文化には身をもって触れいるようです。そうした文化芸術面や中国人気質への理解を背景に、資料の検証を重視して書かれたこの本は、これまでに読んだ西太后伝では語られなかった真実に迫る説得力がありました。

1984年に製作されたリー・ハンシャン監督の映画『西太后』(続編もありました)の公開で、「四億の民に君臨した」猛女として日本でもその名が知られるようになった西太后。その後公開されたベルトリッチ監督の映画『ラスト・エンペラー』の冒頭にも、ラストエンペラー(宣統帝溥儀)を次期皇帝に指名して亡くなる場面が描かれていました。ベルトリッチ監督と同時期に、リー・ハンシャン監督も『火龍-THE LAST EMPEROR』という溥儀を主人公にした映画を作っていますが、こちらには西太后は登場しなかったように記憶しています。

西太后はアヘン戦争が起きる5年前の1835年に生れ、日露戦争から4年後の1908年に亡くなりました。17才で咸豊帝の側室となり、やがて次期皇帝となる皇子を産みました。1861年26才の時に咸豊帝が亡くなり我が子同治帝が即位すると、嫡母である咸豊帝の皇后とともに皇太后となり、前皇后の東太后に対し西太后と呼ばれるようになりました。その時から、幼い皇帝を補佐するかたちで清朝の政治に関わるようになった訳です。映画『西太后』では、そこで独り歯を食い縛って政治の実権を握り、政敵を残虐なまでに次々と追い落として行く姿が描かれて、若い頃から「四億の民に君臨した」西太后のイメージが出来上がりました。

しかしこの本を読むと、若き西太后は意外にも回りの状況に合わせた待ちの姿勢だった事がわかります。我が子同治帝が若くして亡くなると、夫咸豊帝の弟とその妃になっていた実妹との間に生れた甥の光緒帝を即位させ、再び幼帝を補佐して政治に関わりますが、皇帝が成人すると実権を皇帝に戻し隠居しています。後に光緒帝と対立して実権を取り戻す事になりますが、何としても政治的権力を握り続けたい、というのが西太后の望みではなかったようです。彼女が欲したのはもっと女性的な権力、物欲的力の示し方だったのであり、そうした姿勢が日清戦争敗北の一因ともなったというのです。そんな清朝側から語られる日清戦争というのも興味深いです。

歴史モノをこんなに楽しく読ませてもらったのも久しぶりでした。『京劇』でも西太后に触れているそうなので、こ機会があったらこちらも読んでみたいと思いました。
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by hitokohon | 2006-01-12 00:22 | 歴史・ノンフィクション

ミカドの肖像

猪瀬直樹 著 2005/3/8 発行 小学館文庫

自blog「網上徒然話」からの転載です。(加筆訂正有)

ここ数年は、作家としてより道路公団問題でのマスコミへの露出が多かった猪瀬直樹さんですが、彼の作家としての出世作と言えるのが、1986年に小学館から出版された「ミカドの肖像」です。翌87年に「大宅壮一賞」を受賞し、ノンフィクション作家として広く世間に知られる事になりました。現在は同賞の選考委員もされているようです。

歴史好きだった私は、天皇を意味する「ミカド」というキーワードに反応してこの本を手にしました。出版されて間もない頃だったと思います。でも内容は私が想像した歴史モノとは大分違って、天皇そのものを扱ったのではなく、天皇というブランドがどのよう創り出され、守られ、また利用されているか、という検証でした。面白そうだったのですが、ハードカバー本は高くて買えませんでした。その後91年に「ミカドの肖像―プリンスホテルの謎」と題して小学館ライブラリー版(ちょっと大き目の文庫)になったモノを読みました。そう、サブタイトルにもなったように、この本の中で一番興味深かったのは、プリンスホテルに関する部分だったんです。それは、去る3月、有価証券報告書虚偽記載などで逮捕された、前コクド会長堤義明容疑者の父康次郎氏が、いかにしてあのプリンスホテルグループを創り、西武グループ繁栄の基盤を固めたのか、という話なんです。20年も前の著作ですが、中々旬な話題を扱っていると思います。

残念ながらライブラリー版は品切れ状態、と思ったら、完全版のこの文庫版が出たようです。そうですよ、今売らなくて何時売るのこの話題本。新装版出さなくても、ライブラリー版を重版すればいいのに、と素人の私でも思ったくらいですから。

この本を読む前の独身呉服屋店員の頃、年に何度かある展示会の内1回は赤坂プリンスホテル旧館を使うのが恒例で、私も中に入っています。この旧館はホテルといっても文明開化の頃に建てた様なお屋敷の造りになっており、展示会では全館貸切で使用していたと記憶しています。入社して初めての展示会もここだったので、お客様を迎える為にそのお屋敷の玄関に並んでいて、緊張して足が震えたのを覚えています。

ビルになっている新館の横にひっそりと建っている、という感のある旧館でしたが、きっと創業当時の建物を大切にしているのだろう、と当時は思っていました。でも「ミカドの肖像」を読んで謎が解けました。あの旧館は、まさにプリンスのお屋敷だったのです。検索してみたら近代建築散策というサイトに写真もありました。ここでも紹介されいるように、戦前は李氏朝鮮最後の皇太子のお住まいだったのです。朝鮮の皇太子が何故日本に住み、日本の皇族の女性と結婚していたのか、という戦前の歴史もこの本で知りました。

本書によると、戦時下の日本にあって、終戦後の土地高騰を予想していた堤康次郎氏は、空襲警報が鳴る中でも電話をかけまくって土地を買いあさっていたそうです。そして戦後、旧皇族が皇籍離脱させられ、天皇家にも固定資産税が課せられる事になった時、現金が無いだろう彼らから屋敷を買い取っていたのも康次郎氏でした。東京にあるプリンスホテルは、ほとんどが旧皇族の屋敷だったところで、赤プリ旧館のようにお屋敷そのものを利用している所もあるわけです。プリンスホテルという名も、そこからの命名だそうです。

この本を読んだ当時は、まだバブルが崩壊しきっていない頃でした。成功する人は考える事が違うわ、と感心するやら恐れ入るやらでしたが、今読むとまた違った感慨があるかもしれません。
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by hitokohon | 2005-05-13 21:39 | 歴史・ノンフィクション

ドキュメント昭和2-上海共同租界

NHK取材班 編  1986年5/5 発行 角川書店
1995年5月『日本の選択2-魔都上海十万の日本人』と改題して、角川にて文庫化。

1986年NHK総合テレビで放送された「NHK特集ドキュメント昭和」にもとづいて、シリーズで9巻刊行された中の一冊。

1840年に勃発したアヘン戦争でイギリスに敗れた清朝中国は、1842年に締結された南京条約によって、香港島の割譲とともに5つの港の開港を余儀なくされた。それにより、1845年、のどかな港町だった上海にイギリス租界が開設された。続いてアメリカ・フランスが参入し、単独のフランス租界とイギリス・アメリカの共同租界が出来上がった。租界とは中国の主権が及ばない外国人居留地のことである。そして上海にやって来た日本人も、この租界で生活していたのである。

大正14年(1925)5/15、日本資本の紡績会社でストライキ中の中国人労働者が警備員に射殺された。これに抗議したデモ隊に、共同租界のイギリス警察が発砲し死者13名を出した。この5.30事件から、昭和7年(1932)の上海事変に至るまでの、上海共同租界における日本人と中国人とのかかわりを描く事によって、時代の一面を語ろうとする。

 『基督教徒の慰め』などを書いたキリスト教徒で、当時上海で書店を営んだ内山完造と、中国を代表する文豪である魯迅の親交や、日中の演劇人らの交流などにも言及されている。「中華電影」が設立されるのは、この後上海における日本軍の支配がより強まってからである。

他の8冊も以下の題名で文庫化された。

『日本の選択1-理念なき外交「パリ講和会議」』
『日本の選択3-フォードの野望を砕いた軍産体制』
『日本の選択4-プロパガンダ映画のたどった道』
『日本の選択5-対日仮想戦略「オレンジ作戦」』
『日本の選択6-金融小国ニッポンの悲劇』
『日本の選択7-「満州国」ラストエンペラー』
『日本の選択8-満州事変 世界の孤児へ』
『日本の選択9-「ヒトラー」に派遣されたスパイ』
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by hitokohon | 2002-09-01 21:10 | 歴史・ノンフィクション

何日君再来物語

中薗英助 著 1988年2月 発行 河出書房新社
1993年6月河出文庫版も刊行された。

戦時下の中国を舞台にした小説も書いている著者が、時事通信社『世界週報』1986年4/1~87年1/20 連載していた、ノンフィクション。刊行にあたり改稿加筆。

「何日君再来」(ホーリーチュンツァイライ)という歌を聴いたことがあるだろうか。
もともと中国の歌だったが、1939年、渡辺はま子が「いつの日君来るや」、そして1940年、李香蘭(山口淑子)が「いつの日君また帰る 」のタイトルで歌って、日中戦争下の日本でも大ヒットした。タイトル通り、去っていった恋人の面影を慕いならが帰還を待つ寂しさを歌ったものだ。

私が初めてこの歌を聴いたのは、TVドラマ『さよなら李香蘭』のなかで、李香蘭役の沢口靖子が歌った中国語のものだったが、とても心惹かれる歌だった。初めて聴いた日本語版は、テレサ・テン。そして、日中戦争当時中国にいた著者が四半世紀を経て耳にしたのが、テレサの歌う懐かしい中国語版「何日君再来」だった。それが、この歌をめぐる物語を探る旅の始まりだった。

日中戦争当時、ふたりの中国人女優が歌い、日本人の歌手渡辺はま子と李香蘭が日中両国語で歌い、中国人にも日本人に愛された「何日君再来」。だが、戦争、文革を経て、この歌と歌い手達の運命も移り変わっていった。一曲の歌から、日中戦争と、その後の中国の時代の流れを物語る。
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by hitokohon | 2002-09-01 20:48 | 歴史・ノンフィクション

上海租界映画私史

清水晶 著 1995年11/20 発行  新潮社

著者は辻久一の後輩で、彼の回想記を『中華電影史話』としてまとめている。辻と同じく在学中から月刊誌『映画評論』に執筆し、卒業後の1941年から日本映画雑誌協会に勤務した。翌42年、嘱託として中華電影の仕事に就くため上海に渡り、終戦まで過ごす事となる。これは清水晶が見た「中華電影」の回想記である
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by hitokohon | 2002-09-01 20:43 | 歴史・ノンフィクション

中華電影史話

サブタイトル:一兵卒の日中映画回想記
辻久一 著 / 清水晶 校注   1987年8/5 発行 凱風社

1974年~80年にかけて『映画史研究』に連載された記事をまとめた回想記。
辻久一は、東大在学中から月刊誌『映画評論』の筆を執り、卒業後明治大学文芸科講師を務め、1939年に召集され中国へ出征した。そして上海軍報道部の兵として、43年の除隊後は社員として、「中華電影」に関わった。本書はその回想記である。

ベルトリッチ監督の映画『ラスト・エンペラー』や、安彦良和の漫画『虹色のトロツキー』などで、若い世代にも関心を持たれるようになった、日中戦争と満州国。また、映画化もされた斉藤憐の戯曲『上海バンスキング』にあるように、あの当時ジャズが演奏され、映画や演劇などの華やかな文化の中心でもあり、反面、中国に対する列強諸国の進出を象徴する街でもあった上海。

国策としての映画製作を目的とし、後に甘粕正彦が理事長に就任した「満映」(満州映画協会)ととは別に、軍の要請で設立されながら、親中国派の川喜多長政(東宝東和社長)が日本側の代表を務め、中国民衆の為の映画配給をも目指したのが「中華電影」だった。
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by hitokohon | 2002-09-01 19:10 | 歴史・ノンフィクション