人気ブログランキング | 話題のタグを見る

囲碁界の母・喜多文子

中山典之 著 2000/11/10 発行 日本棋院

息子と日本棋院を見学に行った時に売店で見つけた本。碁を打つ事に関する本が多数ある中、こういう本にしか目が行かないから、私はちっとも碁を覚えないのである。

著者の中山典之さんは、1962年に日本棋院のプロ棋士となり現在六段。棋院の機関紙「囲碁クラブ」に書いた連載を出版するなど文才も発揮し、囲碁関係の著書が100冊以上あるそうだ。本書はその中の一冊で、大正13(1924)年の日本棋院設立に尽力した陰の功労者として、囲碁界の母といわれる女流棋士、喜多文子名誉八段を偲ぶ伝記である。中山さん執筆の評伝などの他に、お弟子さん達から寄せられた思い出や、公式に打たれた棋譜も紹介されている。

喜多文子さんは明治8(1875)年生まれ。3歳の時に医者であった父と死別し、父が囲碁の手ほどきを受けていた、囲碁の家元である林家の養女となった。幼いときから女流棋士であった養母に厳しく躾られ、棋士を目指すと決めた時には、心身ともに猛くなければ競争できない、と頭髪を男の子のような五分刈りにされたという。努力の甲斐あって15歳でプロ初段となった。

20歳の時に能楽師喜多六平太さんと結婚、家庭に入る。その後13年を経てプロ棋士に復帰してからは、男性棋士たちとトーナメントで戦う実力派として活躍。一方で後進の指導にも力を注ぎ、多くの女流棋士を育てた。現在活躍されている方々の中には、喜多文子さんの孫弟子に当たる方も多いそうだ。

人を育てるという事に対して大変厳しい時代であり、生活の貧しさという試練を伴う時代でもあった。個性尊重や本人の職業選択の自由という以前に、幼い時から修行の日々が待っていた。しかしそこには、その子が碁打ちの資質を持つかどうかを見極める、師匠の目というものがあった。大人になるのが難しい時代に、考えさせられる一冊だった。
by hitokohon | 2004-07-01 00:00 | 囲碁関連
<< 中の精神 マンガの居場所 >>